世界の宗教史 第3部 · 中世編

第3章

イスラム世界の拡大 ― 帝国と交易

7〜15世紀西アジア・北アフリカ・中央アジア・インド洋約7分(資料を含む)

軍事的な征服と、人びとの改宗は別の過程です。帝国、商業、学問、修行者の活動を重ねて見ていきます。

白い地に濃色の大きなアラビア文字を環状に描き、中央に組紐のような文様を置いた陶器の鉢。
写真で見る歴史

アラビア語の銘文をもつ鉢。10世紀後半〜11世紀。サマルカンド制作と推定、イランのニーシャープール出土。メトロポリタン美術館蔵(40.170.15)。

7世紀の征服の時代より後の生活用器。制作地は推定で、出土地と同じではない。

The Metropolitan Museum of Art, Rogers Fund, 1940 (CC0)
MET|Bowl with Arabic Inscription, "Blessing, Prosperity, Well-being, Happiness" · CC0 1.0(MET Open Access)

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1.正統カリフ時代からウマイヤ朝へ

ムハンマドの死後、スンナ派の伝統で正統カリフと呼ばれる最初の4人の指導者の時代に、アラブの軍隊はシリア、エジプト、イラン方面へ勢力を広げました。661年に成立したウマイヤ朝はダマスクスを中心とし、その領域はイベリア半島からインダス川方面にまで及びました。征服された地域にはキリスト教徒、ユダヤ教徒、ゾロアスター教徒などが暮らし続けました。統治者がムスリムになったことは、住民全員がすぐ改宗したことを意味しません。

領域を支配するには、軍事力だけでなく税の徴収や行政の継続が必要でした。征服以前の人材や技術、建築の伝統も新しい社会へ受け継がれます。王朝が変わっても生活のすべてが一度に置き換わるわけではないことは、美術や遺構からも読み取れます。

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2.アッバース朝と都市の学問

750年に成立したアッバース朝では、バグダードが政治と文化の大きな中心となりました。広域の交流は技術、文学、美術、学問の発展を支えました。ギリシア語・シリア語などの学術文献がアラビア語へ訳され、ムスリムだけでなくキリスト教徒らも翻訳や知的活動に関わりました。「イスラム世界の文化」は信徒一集団だけの作品ではなく、多言語・多宗教の社会の中で生まれたものです。

学問を支えたのは、研究者だけでなく、文献を求める人、翻訳を援助する人、写本を作る人などでした。交流によって得た知識はそのまま保存されるだけでなく、新たな問いのもとで発展しました。のちの他地域への翻訳も含め、知の歴史は多くの社会をつなぐ連続した営みです。

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3.交易とスーフィーのネットワーク

サハラを越える交易やインド洋の航路では、商人の往来、婚姻、支配者の改宗、学者やスーフィーの活動が信仰の広がりに関わりました。スーフィズムは神との関係を深める修行や精神性を重視し、師弟関係や教団を通じて地域に根づきました。西アフリカや東南アジアの歴史を、中東からの軍事征服だけで説明することはできません。

商人との取引や指導者との関係が、宗教への接近のきっかけになる場合があります。それでも改宗の動機は一つではなく、信仰への共感、家族関係、政治的条件などが重なります。支配者の改宗を記録した年代と、広い社会に実践が定着する時期の間には、時間差がありました。

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4.共存と不平等の両方を見る

イスラム支配下では、一定の非ムスリム共同体が信仰を続ける仕組みがありました。しかし、それは現代的な意味での平等な市民権と同じではなく、課税や法的地位の違いがありました。保護、協働、差別、迫害のあり方は政権や時代によって変わります。「常に寛容だった」「常に剣で改宗させた」という両極端の説明では、この長い歴史を理解できません。

宗教間の関係を見るときは、法的な区分だけでなく、職業、地域、支配者との関係なども確認します。ある時代の共存の例を全時代へ広げることも、迫害の例をすべての関係へ広げることもできません。具体例の条件を確かめることが、中立的であるための方法です。

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資料を読み解く

器の文字と出土地から、文化のつながりを読む

器の内側を囲むアラビア文字は、持ち主の幸福などを願う言葉です。METは中央の文様を他の工芸品と比べ、この鉢の制作地をサマルカンドと推定しています。一方、出土したのはニーシャープールです。制作地と発見地を分けると、物や意匠が地域を越えて動いた可能性を考えられます。ただし、この一品から交易路や持ち主の信仰まで断定することはできません。

  • 文字は文章であると同時に装飾でもあります。読むための文字と、見るための形が重なっています。
  • 制作地の推定は意匠の比較に基づきます。出土記録と同じ確かさの情報として扱わないようにします。
  • アラビア文字があることから、使った人全員の言語・民族・信仰を決めることはできません。

資料から考えてみよう

この器から「ニーシャープールの住民は皆アラブ人だった」と言えるでしょうか。

考え方の例を見る

言えません。器の銘文の言語は分かりますが、利用者や地域の全住民の出自を示す資料ではありません。

比較して整理する

一つの器でも、情報の根拠は異なる

一つの器でも、情報の根拠は異なる
注目する情報根拠・館の説明この資料だけでは決められないこと
幸福などを願うアラビア語銘文の読解所有者の母語や民族、周囲の人びとの信仰。
サマルカンドという制作地中央の文様と、同地の金属器の意匠との比較による推定工房・職人の名前や確定した制作場所。
ニーシャープールという出土地博物館の出土記録そこへ届くまでの道筋や、売買された回数。
10世紀後半〜11世紀という年代博物館による作品の年代判断7世紀の征服時に人びとがどの程度改宗したか。

生活用具は文化の広がりを調べる資料です。政治的な領域、流通した物、住民の信仰は、それぞれ別の証拠と照らし合わせます。

地図でつながりを読む

地図で読む:聖地・都市・港のつながり

政治的な領域を示す地図だけでは、人の移動を十分に説明できません。巡礼や商業の往来は王朝の境界を越えました。ここでは、陸の都市と紅海・インド洋の港のつながりを、異なる時代をまたぐ見取り図にしています。

地図と表は、スマートフォンでは横に動かしてご覧いただけます。

カイロ、メッカ、バグダードと、東アフリカ沿岸、インド西岸、マラッカの位置関係を示す交流の模式図。支配領域や同時代の航路網を表すものではない。
地域と時期を照らし合わせる
注目する場所交流を見る手がかり区別したいこと
メッカと都市の往来巡礼・交易・地域の移動が交わる場として読む。聖地の宗教上の位置づけと、各時代の政治権力を分ける。
紅海とインド洋地中海方面とインド洋をつなぐ人・物の移動を見る。地図の線は学習用の概略。船がその線を直進したという意味ではない。
東アフリカ・インド西岸海の往来と沿岸の社会を結びつけて読む。商人が訪れること、支配されること、住民が改宗することは別の変化。
マラッカ15世紀頃からの交易拠点として、アジア各地の結びつきを見る。7世紀の成立期と同じ時代ではない。東南アジアへの広がりには長い時間差がある。

7〜16世紀の交流を考えるための模式図です。全航路・全都市を網羅せず、特定の王朝の国境や改宗率も表しません。現在の海岸線を使用しています。

章末のまとめ

この章のポイント

  1. 征服・統治・改宗の進み方を分けて考える。
  2. 都市と交易は、学問や宗教の交流を支えた。
  3. 共存の制度と、地位の不平等を同時に捉える。

重要用語

スーフィズム
イスラムの中で修行や神との親密な関係を重んじる潮流。宗派をまたいで展開する。
ウラマー
イスラムの宗教的学問を担う学者たち。単一の聖職者組織ではない。

この章の参考資料

本文の数字に対応しています。確認日:2026年9月25日。参考資料と編集方針

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